教育メモ

教育学専攻の学生がつづるメモ帳

#8 「学ぶってどういうこと?」今井むつみ『学びとは何か』を読む1

第1回:「知識ってどうできてる?──記憶・スキーマ・ことば」

知識は、ただ覚えるだけの「情報」じゃない。

ことばを通して、世界の意味づけが始まる。

参考文献:今井むつみ『学びとは何か〈探究人〉になるために』

www.iwanami.co.jp

 

1.「知識」ってなんだろう?

学校では「学び=知識を増やすこと」だと思いがちです。でも、その「知識」って何なんでしょうか?

今井むつみさんは、「知識=事実の断片」という古い見方を問い直します。

人が実際に記憶しているのは、単なる事実ではなく、それを理解するためのスキーマ(枠組み)です。

スキーマとは、たとえば「レストランではメニューを見て注文して、お会計して帰る」みたいな一連の流れをイメージできるような知識のこと。つまり、行間を補う常識なんです。

 

2.言葉がつくる知識のネットワーク

母語の習得は、「生きた知識」の代表例です。

子どもはまずことばを覚えます。そして、覚えたことばで人とやりとりをして、また新しいことばを覚えていきます。

「ことばを覚える。覚えたことばを、コミュニケーションのために使う。また、覚えたことばを、さらに新しいことばを覚えるためにも使う。」(p35)

この循環が、知識を知識につなげていく力になるんですね。

知識は、単体で「覚えさせられる」ものではなく、意味づけのネットワークの中で生まれるものなのです。

 

3.じゃあ、「学ぶ」ってどういうこと?

「学ぶ」とは、世界に意味を与える営み。

「これは何だろう?」「なぜこうなるのか?」と問い続けることで、自分の中のスキーマが広がっていく。

次回は、このスキーマがどうやって私たちの「世界の見え方」に影響するのか、

そして、創造力との関係について考えていきます。

#7 縮図じゃなく、出発点であれ。

小学校は社会の縮図である——そんな言葉を耳にすることがある。この考え方に基づき、子どもに社会的なルールや関係性を体験させることが、教育として展開されてきた。

たしかに、小学校は教育の初歩であり、社会の構成員を育てる場である。学校を社会になぞらえることには一定の理がある。集団での生活、役割の分担、協力と対立。それらを通じて、子どもは社会の一端に触れる。そうした視点からすれば、小学校も「社会の一部」として捉えることはできる。


しかし、現実の教育現場を見ると、「社会の縮図」であるという言説が、時に理不尽を正当化する口実のように使われているのではないかと思うことがある。理不尽なルール、意味のわからない指導、上下関係の固定化。そうした現象に対して、「社会ってそういうものだから」と言われてしまえば、子どもはその矛盾に声を上げることすらできない。

学びを保障する場としての学校に、本来、理不尽を“再現”する必要はないはずだ。むしろ、子どもが社会の不条理に気づき、それを乗り越える力を育む場であるべきではないか。小学校は、社会の「模倣」ではなく、社会の「あり方を問い直す」出発点になりうる。

社会を「集団の在り方」と広く捉えれば、たしかに学校もまた社会の一つの形態だと言えるだろう。ただそれは、社会の縮図というよりも、むしろ社会とは異なる、もうひとつの社会——子どもが安心して試行錯誤できる「別の空間」であってもよいのではないかと思う。社会の理不尽から免れる時間と場所が、子どもに必要なのだ。

#6 『小学校~それは小さな社会~』(2)監督のねらい

この映画を観たあと、小学校に感じていた嫌な記憶がよみがえり、モヤモヤした気持ちになりました。子どもの成長という肯定的なイメージによって、小学校の課題が覆い隠されているようにも感じました。ただ、こうした思いは映画そのものへの批判ではなく、あくまで学校教育に対する批判です。

まずは、監督の意図や観客の評価を整理してみようと思います。そのうえで、学校教育について自分の思いを綴っていきたいです。

 

インタビュー動画から映画のねらいを探る- YouTube(山崎エマ×シャウラ)

 

『小学校~それは小さな社会~』をめぐる一考察──教育へのまなざしとその限界

本作は、日本の小学校教育に焦点を当てたドキュメンタリー映画であり、監督自身の原体験に強く根ざして制作されている。日々の掃除や配膳、行事への取り組み、子どもたちに課せられる役割の数々が、監督にとっていかに画期的で意味あるものであったかが情熱をもって描かれている。作品全体を通して感じられるのは、日本の教育に対する深い愛情と敬意である。

 

しかし、こうした監督の姿勢が作品の強みであると同時に、弱点ともなっているように思われる。というのも、映画が一貫して提示するのは、監督自身が肯定的に体験してきた学校教育の側面であり、それを伝えようとする意図が前面に出ているため、現在の日本の教育が抱える構造的な問題――たとえば過度な同調圧力、教員の長時間労働、個の尊重と集団教育のバランスの欠如など――に対して十分な批評性が向けられていない。

 

確かに、本作はドキュメンタリーとして優れており、個人の思想を作品に反映させたという点では誠実な試みといえる。しかし、それが「日本の学校教育を考える材料」として用いられるときには、注意が必要である。なぜなら、作品が提示する「理想像」によって、現場で問題視されている多くの課題がかき消されてしまうおそれがあるからだ。

 

学校教育とは、多面的な現象である。個人の美しい経験だけで語られてはならないし、また語り得るものでもない。映画としての完成度の高さと、教育について語る上での限界は分けて考えなければならない。観る者に日本の教育の魅力を再認識させる力がある一方で、その魅力が何を覆い隠しているのか、という視点もまた不可欠である。

#5 『小学校~それは小さな社会~』(1)評価

『小学校~それは小さな社会~』(1)評価

 

あらすじ

コロナ禍の小学校を舞台にしたドキュメンタリー映画。1年生と6年生を対比させながら、日々の学校生活を追う。まるでそこに第三者として立っているかのようなカメラワークによって、子どもや教師の自然な様子が映し出される。

 

ホームページより(→公式ホームページ

この作品は、フィンランドアメリカ、ドイツ、ギリシャ、韓国、エジプトでも公開されている。取り上げられているのは、現在世界的にも注目されている「TOKKATSU(特活)」。

 

「いま、小学校を知ることは、未来の日本を考えることだ」(公式ホームページより)

 

この言葉を受けて、日本の小学校教育について考えてみたい。

 

評価

noteでたくさんの記事を読んだ。

そこでは、学校教育に否定的な立場の人が多く見られた。本作を通して希望を見出す人もいれば、学校の持つ「気持ち悪さ」を再確認する人もいる。どの意見も、それぞれの個人的な経験に大きく影響されている印象を受けた。

 

その批判は映画に対して?それとも学校教育に対して?

映画の構成や表現を高く評価する声がある一方で、厳しい意見は主に「学校教育そのもの」に向けられている傾向がある。観客の声を読み取るときには、それが映画への批判なのか、学校教育への批判なのかを見極める必要があった。

 

所感

学校の課題に触れている場面もあったが、結局はすべて「子どもの笑顔や成長」に置き換えられていたように感じた。課題の描き方が表層的で、結果として「小学校教育の肯定」が前面に押し出されている。これは私自身の「映画に対する批判」であり、学校教育そのものに関する考察は、また別の機会に書くつもりだ。

終始、心に引っ掛かりを残す映画だった。

 

参考

公式ホームページ https://shogakko-film.com/

フィルマークス https://filmarks.com/movies/112793

監督インタビュー https://www.youtube.com/watch?v=pgdeM0lDUCE

#4 【教材】谷川俊太郎『ことばあそびうた』

 幼いころから好きな絵本に『もこもこもこ』(Amazon)があります。その詩が谷川さんによるものだということを最近知って衝撃を受けました。谷川さんをはじめとする詩人や多くの絵描きによる絵本は、子どもの情緒にいい影響を与えると思います。

 

(しかし知育絵本は個人的にあまり好きではないです。絵本はもっと解釈の幅があった方がいいと思うからです。)

 

 そんなことを話していると、『ことばあそびうた』(福音館書店)に出会いました。読んでみると大人でさえ読むのに苦労します。「ことばをどこで切るのか、このことばの意味は何か」と疑問がわいてきます。そしてリズムよく軽快に読めたときには、とても気持ちがいいです。

 

 ちょっと国語の授業に取り入れたり、朝に黒板に書いておいたりなど、いろいろと活用できそうです。表現方法を分析するより、声に出して読むほうが楽しくていいと思います。

 

 書店またはネットでお買い求めいただくか、以下掲載の論文に載っているのを参照してみてください。(子どもの言語習得についての論文で、とても面白いです。)

 

参考文献

『ことばあそびうた』谷川俊太郎瀬川康男福音館書店、1973

「ことのはすさびの言語学谷川俊太郎の『ことばあそびを中心にして』)」髙橋隆、2023(https://core.ac.uk/download/pdf/229192746.pdf

#3 『教育の超・人類史』を読む(教育史)1-1

ジャック・アタリ『教育の超・人類史』(大和書房・2024)→Amazon

進捗22%

 

 教育の歴史を学ぶときは、はじめに「教育とはなにか」という問いにぶつかる。

 「教育=学校」がすべての場合に当てはまるとはいえない。むしろ「学校」は近代的なシステムであり、それらを包括するのが「教育」だと考えられる。

 

 教育とは知識の伝達であり、その発生は集団のメンバーが「衰え、狩猟、採集、物資の運搬、自衛などの活動が難しくなったとき、次世代が自分たちの助けになり、さらには役割を交代してもらうことに利益を見出した」(上掲P25)ことがきっかけのひとつだという。

 

 例えば火の活用。これは文字が発明される前から活用されている。同時に肉の焼き方や道具の作り方、狩猟方法など様々な生活の知識が伝達されてきただろう。

 

 また、それらは絵などの記号をもちいて壁画などに書かれ、文字が発明されると粘土板などに書いて伝達される。

 

 教育は家庭や職場で行うのが一般的だった。時代や場所によっては国の官僚や教会の聖職者を育てるための、専門的な場所はあった。そしてたいていの場合は男女によって差があり、学習は暗記中心が多く、また体罰もあったとか。

 

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 これらは私の記憶であり、正確性に欠ける。本書の教育の過去からの連続性を断片てきにしか捉えられていない。そして本書は「さまざまな知識伝達の歴史とその未来についての書」(上掲P21)であることを心に留めて続きを読みたい。

#2 教育史を学ぶ(0)

教育について何を学ぶべきか迷い、教授に相談すると「まずは歴史をおさえろ」と言われました。そこでおすすめされたのが以下

 

梅根悟 『世界教育史』新評論・1967)→Amazon

山住正己『日本教育小史』岩波新書・1987)→Amazon

 

史書を選ぶのであれば、共著より単著が好ましいです。共著では歴史は人によってとらえ方が異なったり、歴史の流れが途切れたりする恐れがあり、一方で単著はより統一されています。このように教わりました。参考までに。

 

上に挙げた二冊を、とにかく通読することを目的としていたのですが、かなりの骨太本。古い文体で読みにくく、なかなか読み進められませんでした。

 

ついに他の本に手を出してしまいました。それはジャック・アタリ『教育の超・人類史』(大和書房・2024)です。500ページ弱のこれもまた超骨太。現代の文章なので読みやすいと思って買ってみたものの、読み進められず。→Amazon

 

この「教育メモ」の継続をモチベーションにして、通読したいです。