saqwertのブログ

気ままに生きています。

3.ひねくれたよく動くヒトです

 自分の将来を考えたときに、今の自分には何の専門性もないことに気が付きました。それは、いままでは、様々なことに触れ、世の中の仕組みを理解する段階にいたからだと思います。でも、その時より一層未来のことを考えるようになっているのは、猶予期間を買っているからなのでしょう。その猶予もそう長くはないことを知っています。

 

 僕は、自分が何者かと問いながらも、その問いを難問と決めつけて避けていました。そうした理由は、自分がひとつの専門性を得た瞬間に、それ以外のアイデンティティが消え失せてしまうのではないかと恐れていたからです。今これを書いているので客観的に自分を見つめることができていると思います。今まで恐れていた、アイデンティティの喪失感はあってしかるべきだったと、何者のもなれない自分だからこそ、何にでもなれるように様々なことに手を出してきた、そう思います。そうして自分の自我を求める意志や行動が確立され、今度は、自分の生きていく道を決める分岐点に立たされているのです。それが専門性とやらものです。たとえば、専門分野を決めたとき、歩んで行くみちが狭くなるのを感じるかもしれません。しかし、それは喪失感というより専門の盲目的な性質によるものです。専門の道を行くということは、必ずしも専門の道を行かなければならないわけではありません。むしろ、誰もゆかない道こそ、アイデンティティの生きた専門性であり、僕が生きていく道なのだろう。それは僕が一番よくわかっていることだろうに、盲点でした。

 

 いま、分岐に立たされていることを実感し、これからの生き方が大きく変わりそうです。でも、今までの僕が変わることはありません。小さな変化を経ても僕は僕です。ひねくれたよく動く怠け者です。どうぞよろしく。2023年10月23日